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2009/5/8 忌野清志郎特集 [番外編] [特番]

From NHK-FM ミュージックライン -忌野清志郎特集-
at 2009/5/8 21:10-22:45
ゲスト:渋谷陽一

1. RCサクセション / 僕の好きな先生 (1972)


清志郎は10代の頃、いわゆる歌謡曲的なものが日本の流行歌として流通していた時期
に音楽活動を始めていて、一番最初に出したのが「僕の好きな先生」。

これはロックミュージシャンとしてはかなり変わったテーマで、
先入観や思い込みに捕らわれていたら絶対に書けなかった曲。
それを何のてらいもなく歌え、一貫して歌い続けられたところがすごい。

彼が全く何も妥協しない、みんなから止められても自分が正しいと思うことは
絶対歌い続けるという、この日本のロックシーンの中において誰よりも反骨精神を持ち、
社会に対してNoという勇気を持った人間だからこそ、この歌が歌えたんだと思う。

こうゆう歌い方は当時すごくユニークで革命的なものだったが、
当時はあまりウケなくて、ロックミュージシャン的な成功には至らなかった。

2. RCサクセション / スローバラード (1976)


有名なバラードだが、これも出た当時は全然売れなかった。
ロックにありがちなカタカナ言葉を使わず、
「市営グランド」という、あまりにも日常的な風景の中での、
こうゆう言葉を日本のロックの文脈の中できっちり定着させた力はものすごい。
すごくシンプルな歌詞の中で、重要なメッセージを伝えている。

この頃はフォーク時代みたいなイメージが世間的にはあるが、やっぱりソウル。
改めてこれを聞くと、彼が当時R&Bやソウルミュージックの日本的なスタイルが
作れないか試みていたというのが非常に良くわかる。

初期のRCのブルース路線、ソウル路線を極めたナンバーだったと思うが、
なかなか売れず、音楽活動も出来ずに悩んでいた。

3. RCサクセション / 雨あがりの夜空に (1980)


思ったように売れず、もっと違うロックな激しいスタイルを模索し 新生RCが誕生。
そこから世間がよく知ってる忌野清志郎スタイルが出来上がっていく。

4. RCサクセション / トランジスタ・ラジオ (1980)


これも「スローバラード」などと同じで、どうってことのない日常の風景を歌っているだけ
だが、そこから喚起されるイメージはものすごい。
この日常の風景をどれだけ高い抽象化レベルまで持って行って、
ロックな世界を作り上げられるかという点で、彼を超えられた人はいない。
自分がオリジナルなものを始め、最終形態までいってしまったアーティストだと思う。

音楽スタイルを大胆に変え、新生RCはいきなりブレイク。
お客さんも増えて、すごく盛り上がってきたが、
清志郎自身は基本的にブルースやソウルなどのスタイルを一貫して持ち続けていて、
それを新生RCのロックなビートの中にどう表現していくかという試みもずっと続いていく。

5. RCサクセション / いい事ばかりはありゃしない (1980)


「金が欲しくて働いて眠るだけ」。
こうゆう非常に直接的なフレーズをちゃんと歌詞として成立させてメロディにのせていく、
これも清志郎が作り上げた日本のロックの代表的なスタイルの一つといえる。

こうゆう曲を聴くとボーカリストとしての忌野清志郎の力の大きさを改めて感じる。
言葉のはめ方とか、メロディに対するビート感は彼のボーカルスタイルからくるもので、
こうゆう曲を清志郎以外が歌うのはすごく難しいと思う。
忌野清志郎のボーカルスタイルと、忌野清志郎というアーティストのリアリティが
歌を圧倒的に支えている感じがする。

6. RCサクセション / ヒッピーに捧ぐ (1976)


マネージャーの死について、彼自身が死をどうとらえたか、その時の気持ちを歌った曲。
いろいろな思いで聞くことになるが、非常にいい曲。

7. RCサクセション / ドカドカうるさいR&Rバンド (1983)


RCは盛り上がって大変な人気で、アリーナクラスの会場でガンガンライブをやり、
成功の頂点にいた時期だが、清志郎自身は徒労感などに苛まれていて、
怒りに満ちたパワーが最高のロックンロールナンバーになったもの。
清志郎らしい歌詞。彼自身の正直な心情を歌っている。

8. RCサクセション / 空がまた暗くなる (1990)


絶妙な緊張感と力関係でRCは運営されていたが、それがいろいろ崩れてきてしまって、
最終的には3人になって活動休止に入っていく。
そんな状況のもと、「大人だろう? 勇気を出せよ」という歌を歌ったということで、
清志郎が一つステージを上げたという手応えのある曲。

9. 忌野清志郎 / 世間知らず (1992)


RCは活動休止となり、清志郎はソロ活動に入っていく。
Booker T & The MG's などともレコーディングをして、
また別の自由と別の自分の中の音楽活動のフィールドと、
自分のミュージシャンとしての筋肉を発見して、
どんどん今までになかった世界を広げていった感じ。

清志郎は日本を代表するロックシンガーだが、彼自身が商業的な成功をエンジョイし、
誰からも認められて、日本のロックシーンの王道を歩み続けていたかというと、
そうではない。
この歌にも「世間といわれるものとアジャストできない」という思いが
すごくはっきり歌われている。

社会的なメッセージを強く出し、彼自身が認められないものと戦うことで、
自身の活動のフィールドが狭くなって、メジャーレーベルとうまくやっていけなかったり、
いろんなメディアで自分の曲がちゃんと流通できないという状況の中で、
彼自身は決して妥協することなく戦っていく。

10. ラフィータフィー / 誰も知らない (2000)


社会的にラジカルなことをやってるから壁が大きいというだけでなく、
すごく優れた表現をやってきているが、それが大衆的なヒット曲として
誰もが熱狂的に迎え入れたかというと、そうでもない。
その結果、インディーズ活動に向かっていくようになる。

11. 忌野清志郎 / Jump (2005)


2003年の「KING」から本来的に彼が持っていたRCスタイルに戻り、
ソロキャリアの中における黄金時代を作っていく。

12. 忌野清志郎 / 激しい雨 (2006)


清志郎というのは、
ロックがいわゆる「思想」であるということを誰よりも良く知っていて、
それを貫いた人だと思う。
と同時に、
ロックが商売である、芸能であるということも誰よりも良く知っていて、
それを貫いた人だと思う。
どちらか一方ではなく、両方とも成立してロックなんだ という
本当にロックの基本をなによりもわかっていた人だと思う。

清志郎は日本のロックの基本的なスタイルを作ったかもしれないが、
それは日本のロック的な常識を全部壊す形で作っていったもの。
クリエイターでもあり、破壊者でもあった。
本当にすごい。

その独自なスタイルは継承されているようで、やはり清志郎のオリジナリティそのものを
何者も越えきれていない。
本当に唯一無比の存在だった...。


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